夏を終える1週間
taromatsumura, 2007.09.03 23:59 [ Today : music shibuya tokyo ]
ベランダに鉢植えの山椒の木があるのだが、朝ぼんやりとその木を見ていたら、キレイなアゲハチョウがハラハラと山椒の木を物色しているのだ。そうしておしりを突き出しながら、山椒の木に何度も押しつけていた。卵を産んでいたのである。アゲハというとレモンだとか柑橘系の木に卵を産むイメージがあったんだけれど、実は山椒の木でもちゃんと生長するんですね。食べる葉っぱによって模様が変わるなんてこともないのだろう。
しかし残念なことに、そこには先客が数匹いる。既に別のアゲハが卵を産んでいて、まだ黒い小さな幼虫がせっせと葉っぱを食べ始めているのだ。鉢植えの大きくはない山椒の木である。すぐに丸坊主になることは目に見えていて、新たな幼虫の食べ物がなくなってしまう。それも生きる厳しさだ、と言われればそれまでなんだけれど、なんだかそのまま見殺しにするのもかわいそうなので、鉢植えの山椒の木でも買ってこようか、と思ってしまう。
しかし、それもまた、無駄な努力かもしれない。写真の青虫はもうちょっとでさなぎになるんじゃないか、と言うところまで大きくなっていたのだが、この写真を撮った次の日の朝、すでにこの山椒の木からはいなくなってしまっていた。よくベランダに遊びに来るスズメかカラスに啄まれてしまったんじゃないか、と推測しているんだけれど、奴らは人なつっこくベランダに遊びに来ていたんじゃなくて、この幼虫の成長過程、つまり食べ頃をチェックしに来ていたのか。そう考えるとやっぱり自然というのは残酷なものだし、切ない気分になってくる。
切ない気分と言えば、夏の終わりに毎年聴いてひたってしまう音楽がある。僕が小学生の頃から好きなミュージシャンにCHAGE&ASKAがいる。先日音楽評論家のヨウさんと話をしていて、「90年代のASKAさんには神が降りていた」というコメントが出てきた。確かにメジャー感たっぷりのミリオンヒットを量産していたことからしても、神が降りていたことは明らかなんだけれど、僕はCHAGE好きと言うこともあって、ヒット云々にかかわらず、彼らの音楽が好きだ。
その中で僕が夏の終わりの名曲だと思うのは、『NO DOUBT』という楽曲である。アコースティックで静かに始まるその曲は、夏の肌が消えるように別れてしまう恋人同士の一幕が描かれていて、別に自分がそういうシチュエーションじゃなくてもものすごくキレイに切ない場面が脳裏に描かれる楽曲だ。一生懸命に越冬のための卵を植え付けていた、可憐なアゲハチョウも、がんばって成長してきた青虫も、身近にこんなに切ない物事があふれている、それが夏の終わりなのだろう。
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