静寂の気まずさ

最近また外出が増えてきて、空き時間にどこかで作業をする機会も増えてきました。そういう生活をしていたのは東京で以前に過ごしていた12年前だったのですが、冬至は「モバイル」という言葉には苦行がつきまとっていて、挿して快適ではなかったことを覚えています。

そもそも、コンピュータが重たい。バッテリーの大きさ=重さであり、今ほど効率的ではなかったこともあって、電源を探し回らなければなりませんでした。ネット回線の確保と加えて集中しやすい静かな環境が欲しくなります。

自分のような文章を書く仕事の場合、基本的にネットは時間を吸い取る災厄、吸血鬼ならぬ「吸時鬼」みたいな存在でしかありませんが、クラウドだのコミュニケーションだの、一人で黙々と仕事をするスタイルが影を潜め、ネットも必須の仕事の要件になってきました。

とはいえ、どこでも仕事ができることは、ツール面の充実や技術の発展以上に、どんな会社や仕事の内容か?という部分の方が大きく作用するため、結局モバイルで仕事をしている人は、昔から苦労してそういう働きをしていたんだろうと思います。

最近の外での仕事の強い味方は、ノイズキャンセリングヘッドフォンでしょう。これのおかげで多少うるさい場所でも仕事に集中できたり、自分の声だけを相手に伝えるビデオ会議のマイクとしても活躍してくれます。自分としては、ずっと聞いていると頭が痛くなってくるし、雑音が消えても雑念が消えるわけではない、ということに最近気づいてきたのですが。

そんな中で、ちょっと空いた2時間に立ち寄った都立大学駅前にあるサンマルクカフェは、今までの昼間のカフェとは違うとんでもない空間でした。

だいたい、午後のカフェは、仕事の打ち合わせ、や学校帰りの生徒さん、学生さん、お迎え前や買い物の合間のお母さんたちで賑わっていそうなものです。ところが、そうした普通の風景とは全く異なる異空間が拡がっていました。

店舗は1Fにレジと多少の客席があり、2F、3Fがさらによゆうのある客席、というよくある駅前のカフェという構造になっています。道路に面した窓沿いにはコロナ対策のアクリル板で狭く区切られたカウンター席があり、その反対側には壁に沿ってソファが、間を埋めるように丸テーブルと椅子が並べられている、ごく普通の店内です。

40人ほどのキャパシティの店内に12〜13人ほどのお客さんが着席していたのですが、一切の無音なのです。そこで聞こえるのは、カップをテーブルに下ろすときのコトという音、衣擦れの音、階段を上がって席に着くための足音、そして時折窓の外から聞こえてくる、東横線の発車ベルの音ぐらいしか聞こえないのです。

店内の人は、パソコンに向かっている人、本を読んでいる人、ノートにしきりに何かを書いている人など、やっていることは普通のカフェと同じです。しかしとにかく物音一つ立てないで過ごしています。ちょうど、サウナでじっとしている人たちがいる空間と同じぐらい静かで、その静けさが異様であり、だんだんその状況に自分がいることが不思議で面白くなってくるほどでした。

ちょうどしたの方からパタパタと、話しながら階段を上がってくる外国人の来店客。これで少し話し声がする普通のカフェに戻るかと思いきや、2階席の空間を除くやいなや、何かを察したのか、そのまま1Fに降りてしまいました。確かに何か話込もうと席を探す人に取っては、むしろ居心地が悪いほどに静かな空間としか言い様がないのです。というか、1Fと3Fで流れているはずのBGMはどこへ行ったのだろう……。

こうなってくると、静寂の理由を探したくなります。そういえば、電車の中で書けていたノイズキャンセリングヘッドフォンを付けっぱなしだったんじゃないか。だから静かなのだ。そうに違いない。という期待は見事に外れました。耳に付けていたノイズキャンセリングヘッドフォンは、コーヒーを注文するときに店員さんとやり取りしやすいよう、外部の音を取り入れるモードになっていたのです。

特に何も気にすることもないのですが、静寂な空間で色々と邪推を巡らしていることに勝手に気まずくなって、ノイズキャンセルをオンにするのでした。本当に、BGMでも流れていれば、静寂の気まずさなんて感じることもなかったのに。

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Journalist/author covering tech, edu, and lifestyle. ジャーナリスト・著者。iU 情報経営イノベーション専門職大学専任教員。キャスタリア取締役研究責任者。Tokyo JP✈Berkeley CA http://forks.tokyo/